数日前、堀江貴文氏がTwitterでこんなことを言っていた。
"誰でもできる仕事だからです 「なんで保育士の給料は低いと思う?」低賃金で負の循環 (朝日新聞デジタル) -
https://t.co/EuidhabdJ1"
https://twitter.com/takapon_jp/status/918358979411034112
保育士の給料を含めた待遇全般がよくないというのは、何度もニュースになっているけれど、保育士の給与が低いのは誰でもできる仕事だからだ、というのはちょっと短絡的に過ぎるのではないかと思う。当然この発言は数千のリツイート、数千のいいねとともに炎上した。反発する意見としては、「誰でもできるならおまえがやればいい」などのあまり建設的じゃないものも見たような気がするけれど、けっこう的を射ていると思ったのはこちらのツイート。
"とりあえず「自分はしたくないしできれば他人にやらせておきたい仕事」のことを「誰にでもできる」っていうのは違うと思うね、ちゃんと自覚しようぜ。あとその「自分はしたくないしできれば他人にやらせておきたい仕事」が低賃金であるべきっていうのは全然別の話。"
https://twitter.com/eboli_ef/status/920052246292729857
「誰でもできる」と言った堀江氏が、しかし保育士の仕事を自らやろうなんて思っていないことは明白で、であれば、堀江氏の言う「誰でもできる」は「自分ではやらないけれど自分以外の誰かがやればいいと思ってる」と言っているのと同じことになる。で、まあそういう仕事はたぶん、特にいわゆる3Kと呼ばれる類の仕事では、私たちも堀江氏と同じように考えることはあるだろうけれども、だからといってその仕事が低賃金でいいというふうにはならない。むしろ、「自分にはとてもできない仕事だから、このくらい給料もらっててもおかしくないよね」というふうになるべきなんじゃないかと。
堀江氏のツイートを見た時に、何かが欠けていると思ったのでちょっと考えて、私は以下のツイートをした。
"保育士の給与の件が取り沙汰されてるけど、今は保育士とか教員とか、人を育てる仕事のステータスが低すぎると思うんだよね。"
https://twitter.com/zasshoku/status/919845086124498944
"仕事量に見合うだけの給与だけじゃダメで、その仕事に対する敬意が必要ですよ。どんな仕事にも言えることですけど。"
https://twitter.com/zasshoku/status/919845843271745536
"敬意を払えないから、誰でもできるなんてことが言える。"
https://twitter.com/zasshoku/status/919846266951024640
どんな仕事に対しても、それをしている人には一定の敬意を払う必要がある、と私は考えていて、堀江氏の発言にはそれが感じられなかった、ということだと思う。それがたとえ、誰でもできる仕事であっても、である。ましてや、堀江氏の真意は上に書いたとおり、「自分じゃやらない、誰かがやればいい」なのだから、自分じゃやらない(やりたくない)仕事に対して、「給料が安いのは誰でもできる仕事だから」と言ってしまってはやっぱりダメなのである。
もちろん、敬意と給与は直接的には関係がないから、敬意ばっかり払われたところでなり手は増えないだろうと思う。でも、まず仕事に対する敬意が払われなければ、保育士の数や待遇が上がっていくということはありえない、とも思う。
今でこそそんなふうに言う人はいなくなったようだけど、私がまだ若い頃には、教師は聖職だという人がかなりいた。つまりそれは、その仕事に対する敬意の表れだった。保育士だって教師だって、「人を育てる」という大事な仕事なのだし、保育士にも教師と同様の敬意を払われてしかるべきだと思う。
「誰でもできるから低賃金なんだ」と言い放つだけで終わらせるのではなく、「(誰でもできるけど)自分にはできない仕事だからもっと待遇をよくしなければ」という考えを誰もが(特に政治家が)持つようになれば、保育士に限らず、いろんな職種の待遇問題は少しずつよくなっていくんじゃないかと思うのだが。
そんな考えは、安直に過ぎるのだろうか。
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