https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD2962V0Z20C21A4000000/?unlock=1
東日本大震災から10年になる今年3月、「国民の選択」という映画が公開されました。原子力発電の是非が国民投票に委ねられ、ひとつの家族が賛否を巡り争いになる筋立てでした。原発を廃止すべきだとの論調には賛同できませんでしたが、いまの日本で国民投票が実施されるのは憲法改正の場合のみですので、そのシミュレーションとして興味深く見ました。
◆憲法改正で環境権を明記
この映画を紹介したのは、今回のテーマが憲法と原発だからです。ドイツ憲法裁判所シリーズの最終回として、同国が原発廃止を決めるうえで憲法が果たした役割を取り上げます。
ドイツでは現在、6基の原発が稼働しています。もともとは17基だったのですが、東日本大震災の2カ月後にアンゲラ・メルケル首相が「2022年末までの原発ゼロ」との方針を打ち出し、段階的に運転を停止しているところです。
こうした政治判断の背景にあったのが、ドイツ憲法20a条でした。1994年の憲法改正で20条と21条の間に挿入された条文なので、4項からなる20条の1項と混同しないように小文字のAが付いています。
改憲して何を定めたのでしょうか。「国は、将来の世代に対する責任からも憲法的秩序の枠内で(中略)自然的な生活基盤を保護する」。いわゆる環境権です。その後、さらに改正され、現在では「動物を保護する」とのくだりも入っています。
◆環境権の第1号は韓国
世界で最初に憲法に環境権を明記したのは1948年の韓国です。35条で「国および国民は、環境保全のために努めなければならない」と定めました。翌49年にできたインド憲法にも同じような表現があり、アジアにはこれを踏襲した国がフィリピンなどいくつかあります。
もっとも、国際世論において環境権の議論が本格的になってきたのは、世界の著名な有識者からなるローマ・クラブが72年、公害などにより持続的な経済成長が困難になると訴えるリポート「成長の限界」を発表した辺りからです。
76年にポルトガルが、78年にスペインが憲法に「よりよい環境を享受する権利」を明記しました。86年にウクライナ(当時はソ連の一部)で起きたチェルノブイリ原発事故は欧州における環境保護運動を一段と盛り上げました。ドイツの憲法改正もこの流れに乗ったものでした。
環境保護を最重要課題とする緑の党は83年に初めて連邦議会で議席を獲得します。東西ドイツ統一に伴い、93年に東側の環境政党だった同盟90と合併して勢力を拡大し、98年に革新系の社会民主党(SPD)と連立政権を樹立し、初めて与党となりました。
◆原発を段階的に停止へ
この政権を率いたSPDのゲアハルト・シュレーダー首相のもとで、ドイツは99年に環境税の導入、2000年に原発の段階的停止を決めました。02年には原子力法を改正し、32年間と決められていた稼働期間に見込んでいた発電量に達した原発は前倒して停止することで、政府と電力会社が合意しました。
05年の選挙ではSPDが議席を減らし、保守系のキリスト教民主同盟(CDU)の党首だったメルケルが首相に就きました。ただし、連邦議会の単独過半数には至らなかったため、SPDと保革相乗りの大連立を組みました。
企業を支持基盤とするCDUは原発存続を求めていたのですが、政権返り咲きを優先し、段階的停止を継続しました。09年の選挙後に連立相手を中道系の自由民主党(FDP)に乗り換え、ようやくメルケル氏は段階的停止の期間延長に動きました。
ところが、11年3月11日に起きた東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発の事故は欧州にも衝撃を与え、メルケル氏は3日後の14日、期間延長の見直しを表明しました。5月に決めた長期的なエネルギー計画では、停止期限を逆に繰り上げ、22年末での原発ゼロとしました。
CDUは13年以降、再びSDPと連立を組んでおり、原発ゼロ政策はいまのところ維持されています。
◆憲法裁判所の判断は?
一連の判断に憲法裁判所はどうかかわったのでしょうか。争点となったのは核燃料税の是非でした。これはメルケル氏が原発存続に動いていた10年に新設した税です。原発企業に事業継続を認める見返りとして、燃料棒1グラムあたり145ユーロを納税させ、新エネルギー促進などに充てるというものでした。
問題は、翌11年に原発ゼロに方向転換したにもかかわらず、核燃料税は廃止されなかったことです。原発を持つエーオンなどのエネルギー大手3社は不当課税だとして財政裁判所に提訴しました。日本の国税不服審判所のような組織です。
連邦財政裁判所は12年、課税は有効と判断しました。3社は欧州連合(EU)の司法裁判所に提訴しましたが、15年に敗訴。最後の望みの綱が憲法裁判所でした。
連邦憲法裁判所は17年、核燃料税は政府の裁量で課税対象を決めることができる消費税に該当しないとして課税無効との判断を下しました。政府は総額62億8500万ユーロ(約8300億円)を3社に返還しました。
◆環境権はもろ刃の剣?
日本の自民党議員に「ドイツは環境権で失敗したんだ」という話をされたことがあります。14年に衆院が欧州に憲法調査団(保利耕輔団長)を派遣したときのことです。面談相手に「環境権を認めたのは失敗だった。環境を破壊するおそれがある原発への違憲訴訟が起きた」とこぼされたというのです。
この話が広まるうちに、永田町ではいつの間にか、「ドイツでは憲法裁判所が環境権を理由に原発の稼働停止を命じた。日本の憲法改正では、環境権は絶対に認めてはダメだ」というストーリーになっています。
訪欧団の報告書は衆院のホームページに記載されていますが、ドイツには行っていません。ドイツ憲法裁判所が原発の稼働停止を命じたという事実もありません。
さて、半年ほど続けてきた外国の憲法裁判所の紹介は今回で終わります。何回か書きましたが、憲法裁判所というと、難しい理屈を振りかざすところと思われがちです。実際には、議員OBと裁判官OBで構成し、立法と司法の仲立ち的な役割を果たしている国が多いのです。日本でも善しあしをもう少し突っ込んで検討する機会があってもよいような気がします。
編集委員兼上級論説委員 大石格