https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00138/040401010/
ガラスの内側をテープで留めると、部屋に飛び込む破片を減らせる。通行人への被害を減らすには、できれば外側にも。ウクライナの安価な窓や複層ガラスには強化ガラスが使われていないので、割れると大きな破片が飛び散って危険――。ウクライナ西部の都市リビウを拠点に建築設計やインテリアデザインを手掛けるreplus bureau(リプラスビューロー、以下リプラス)はロシアのウクライナ侵攻以降、インスタグラムにこのような投稿を載せるようになった。
2022年2月24日以前の投稿は文章が少なめで、古い工場の趣を生かしながらリノベーションしたオフィスや、若者が好みそうな内装デザインのクラブ、モダンなインテリアが目を引く住宅などの写真が見る者を楽しませていたが、今は破壊された建物の写真に、こんなメッセージが添えられている。「出入り口が1つしかない自宅の地下室は一種のわなです! 被害が小さくても閉じ込められてしまうかもしれません」
ロシア軍のウクライナ侵攻から40日以上がたち、ウクライナの人々は悲惨な非日常を、日常として生きなければならなくなっている。一方で、人々は嘆き悲しんでいるばかりではない。平穏な日々を待ちわびながら、それぞれがやるべきこと、できることと向かい合っている。建物の設計を通じて社会生活の舞台を整え、演出してきた建築設計者も同様だ。
「勝利の後、建築家には多くの仕事がある。私たちはクールにできる限りのことをする!」。投稿の中にこんな一文を見つけ、筆者はリプラスに連絡を取ることにした。戦渦に巻き込まれたウクライナの建築設計者が、切羽詰まった状況で何を考え、どのような行動を起こしたかを知れば、建設分野に携わる日本の読者はこの戦争を「自分の問題」として捉えやすくなるだろう。さらには、自らが社会で果たすべき役割について、読者が改めて思いを巡らすきっかけになるとも感じた。
しばらくして返信をくれたリプラスによると、ロシアのウクライナ侵攻が始まってから、同社のメンバーは設計者であることを生かして軍や避難民を支援するボランティア活動に従事してきたという。「軍向けには何年も使われていない政府施設を、避難民向けにはスポーツ施設やオフィスなどを、ニーズに合わせて手入れし、提供している」(リプラス)。3月末までに5施設の整備を支援した。
リビウにある子どもと青少年のためのスポーツスクールでは、ベッドルームなどをしつらえて最大132人を収容できるようにした。激戦地となったウクライナ第2の都市ハリコフで活動する2つの設計事務所との共同プロジェクトだ。施設運営に必要な資金や物資については、SNS(交流サイト)で支援を呼び掛けている。
やがて始まるウクライナの復興で、どのようなことに取り組みたいか。筆者が問いかけると、次のような答えが返ってきた。「どうだろう。思慮に富んだ、そして進歩的なものをつくることが大切だ」
設計者としてのスキルを生かして活動するのはリプラスだけではない。首都キーウ(キエフ)を拠点に、古い武器庫を改修したフードコートからIT企業のワークプレイス、個人住宅まで幅広く手掛けるbalbek bureau(バルベックビューロー、以下バルベック)もそんな設計事務所の1つ。国内外で建築やインテリアデザインの賞を獲得してきた実力派だ。筆者は同社にも、リンクトインなどを通じて連絡を取った。何日かして、バルベックの創設者であるスラバ・バルベック氏から返事が届いた。
◆避難民に「尊厳ある生活」を提供するプロジェクト
バルベック氏は戦争が始まってすぐ、自ら設計して共同所有もしているカフェを拠点に、10人のボランティアと炊き出しにいそしんだ。キーウの領土防衛隊(ウクライナの民兵部隊)や医療スタッフと患者、高齢者などに1日当たり最大1万2000食を提供する取り組みだ。
しばらくして、設計事務所として戦時下にどのように活動すべきか、方向性が固まってきた。「戦争が始まってから最初の数日間はぼうぜんとしていたので、次に何をすべきか考えるのに少し時間がかかった。結果として、自分たちのチームとウクライナ経済を支えるため、国際的なプロジェクトに取り組み続けることにした」。バルベックで広報を担当するエヴゲーニヤ・ライズハク氏はこう説明する。
バルベックの所員の多くは欧州に拠点を移し、残りは安全なウクライナ西部に滞在することにした。進行中のプロジェクトの大半は地元の案件で、中断してしまったため、他国の新規顧客の獲得などに力を入れている。一方、所員の中には国を守るために領土防衛隊に加わった者もいるという。
仕事の傍ら、世界の仮設住宅などを20以上も分析してつくり上げたのが、22年3月21日に発表した「RE: UKRAINE」と呼ぶ提案。居室、キッチン、サニタリー(バスルームなど)、パブリック(共用スペース)という4種類のモジュールを柔軟に組み合わせて、帰国した難民や住まいを破壊された人々が「まともに暮らせる街」をつくる構想だ。「住まいを奪うことはできるが、尊厳を奪うことはできない」(バルベック)
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、ウクライナから国外へ逃れた難民は400万人超、国内で避難を余儀なくされている人は650万人を超えるとされる。仮設であっても過ごしやすい住居とコミュニティーを提供することは、喫緊の課題だ。バルベックはウクライナ西部での構想実現に向けて動き始めている。
リプラスとバルベック、2者の活動からは、建築の本質が「人を守ること」なのだと、つくづく思い知らされる。人類が風雨から身を守るために洞窟をシェルターとして利用していた頃から、それは何ら変わっていない。
ウクライナ危機を受けて、世界で活躍する著名建築家の一部が、ウクライナへの連帯とロシアへの非難を表明した。筆者はこうしたスターアーキテクトの事務所にも連絡を取り、声明を出した理由などを尋ねてきた。そのやり取りの中で、上述の「建築の本質」に関して印象に残った言葉があるので、最後に紹介しよう。
過去にメルセデス・ベンツ博物館(ドイツ、2006年)などを手掛け、現在は設計を担当したオランダ宿泊予約サイト大手Booking.com(ブッキング・ドット・コム)の本社ビルが建設中のUNStudio(ユーエヌスタジオ)でPRマネジャーを務める、カレン・マーフィー氏のメッセージ。
「つまるところ、築き、手助けし、守るのが私たちの仕事。破壊と暴力は、私たちがしていることと正反対なのだ」