 当時の細民窟についての資料。なぜか同時期に酉島伝法さんも一部読んでいた |
前記事(序文):
https://tabtter.jp/diary/6984
前記事(第10位):
https://tabtter.jp/diary/6986
前記事(第9位):
https://tabtter.jp/diary/6988
前記事(第8位):
https://tabtter.jp/diary/6989
前記事(番外):
https://tabtter.jp/diary/6990
前記事(第7位):
https://tabtter.jp/diary/6991
書誌・ご予約:
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784344038998
ここまで読んでくださったかたは、
校閲の指摘にもさまざまな側面があることを
おわかりいただけたのではないかと思う。
たとえば、第9位、啄木最初で最後の出席の件。
伝説そのものを覆しかねない派手さがある。
第8位、出された酒が史実と違う件。
地味ながら、発見までの難易度がとても高い。
第10位、鼎の絵のサイズの件などは、
いかにもな職人さんの仕事という感じがする。
そしてなんていうか、こうしたものを総合した、
「芸術点」のようなものがあるように思う。
もしかすると、校閲には校閲の芸術があるのではないか。
競技とかがあったら見てみたいのだけれど、どうだろう。
(なお、今回がとても恵まれた例だったといのは、
附記したほうがいいかもしれない。
指摘ゼロの校正ゲラを前に不安にかられるのは業界あるある。)
と、前置きが長くなってしまった。
第6位である。
これは単純にすごいなと思い、単純に助けられたやつだ。
細民窟、いまで言うスラムが作中登場する場面がある。
これは絶対に扱わなければならないと思っていたやつで、
企画段階から資料は集めていた(写真)。
そして、また例の法則――。
熱心な人というのは、間違うのである。
【原文】
「俥夫の話では、だいたいの人間は多くて一日二、三十銭しか稼げないらしい。安いときは五、六銭なのだとか」(作中の白秋の台詞)
俥とは人力車のこと。連城三紀彦とかでおなじみのやつだ。
これに中国の「俥」の字をあてたのは、誰の発明だったか。
なお、インドとかにもある。
全然関係ないけど、いま現地で「リクシャー」の語が
「トゥクトゥク」に置き換わりつつあって、ちょっと寂しい。
指摘はこう。
【指摘】
『最暗黒之東京』(明治26年)の記述とは一致します。一例として、『東京学』(明治42年)では1日30-40銭から50-60銭まで、という記述もあります。
インフレ。それを忘れていた。
物価が変われば賃金も変わる。
ぐうの音も出ないとはこのことである。
しかも問題となる場面は明治42年なので、ずばり一致する。
そして『東京学』って何。
題が地味すぎるせいか、見落としていた有用そうな資料……。
資料も添付されていたので、この指摘はそのまま取り入れる。
【修正】
「俥夫の話では、だいたいの人間は多くて一日五、六十銭しか稼げないらしい。安いときはその稼ぎもない」
下限がわからなくなってしまったが、
俥夫などは客がつかない日もあるだろうから、このように。
今回のケースでは、さまざまな条件が揃って修正に至った。
・校閲がぼくの記述を怪しんだ
(こう堂々と書かれると見落としやすい)
・校閲がミスに気づいた
(ぼくの情報ソースの年代に気づき、かつインフレに気づく)
・証拠を探す時間的余裕を与えられていた
(「インフレしてますがOK?」で済ませそうなところ)
・ずばり明治42年の資料が現存し、かつそれが発掘された
(奇跡では?)
ここまで来ると、間違って恥ずかしいとか悔しいとかより、
「見つけてくれてありがとう!」
という喜びが先立ってくるのであった。