宮内悠介 @chocolatechnica

白羊の席次(『東京美術学校一覧』)

鼎の席次(同)

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書誌・ご予約:https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784344038998

今日の話は、故人の名誉にかかわるものである。
つまり、もし間違っていたとするなら――。

ぼく自身、この件をどう扱うべきかは最後まで迷った。

しかし、考えるほどに、校閲の発見が正しい気がする。
そこで最後の最後、書籍をまとめるぎりぎりの段階で
修正を入れることにした。

と、前置きはこのへんにして。

今回の主役、倉田白羊は洋画家。

本書では最終章に登場し、のちのパンの会の常連となる。
作中、なぜか三味線を持参してくるのだけど、
これは「キャラ付け」ではなく事実であったりする。

『山本鼎・倉田白羊――生涯と芸術』(小崎軍司)によると、

「明治三十一年九月、東京美術学校西洋画科選科に入学した。その時十六才だったが、既に明治美術会の準備通常会員に推薦されていた」

とのことで、いきなりただごとではない。
さらには、

「在学中に父が死亡し、長兄幸蔵の後援を得たり、自分で働いたりして明治三十四年に同校同科を首席で卒業した」

なんか苦学しながら首席で卒業してしまった。

Wikipediaにもこうある。
「師・浅井が東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)の教師として迎えられたため、1898年(明治31年)に倉田もこれを追うように入学し、1901年(明治34年)に首席で卒業」(「倉田白羊」Wikipedia)

そういうわけで、白羊登場にあたって、
ぼくはこんな感じの説明を入れた。

【原文1】
白羊は飄々としているようで、その実、東京美術学校の首席卒。作風は、どことなく日本的な叙情をたたえた写実、といったところだろうか。そういえば、同じ学校を次席で出たのが、ここにいる常連の呑兵衛、鼎だ。見かけによらぬとは、まったくこのことだ。

【指摘】
(添付資料では)名前が二番目に掲げられていますがOK?

どういう意味か。

指摘は控え目な言いかたをしているけれども、
要するに、こういうことであった。

「白羊は首席卒ではないんじゃないか」――と。

なんていうか、フルスロットルの指摘である。

いや、ちょっと待って。
それっていうのはその、伝説を覆しかねないんですけど。

添付された資料は、東京美術学校の卒業者一覧。
「なぜ調べようと思った?」って感じだけど、
確かに白羊の名は二番目にある(画像左)。

とはいえ、本当にこの順番はそのまま席次なのか。
たとえば入学順とか、寄付金を多く納めた順とか、
そういうことはないのか。

森田恒友と首席争いをし、次席となった鼎のを見る(画像右)。
確かに、恒友が先に、そして鼎がその次に記載されている。

ちなみに明治三十四年の官報でも、白羊の名は二番目。

めちゃくちゃ蓋然性が高そうである。
っていうか、これ新発見に近いのでは?

ぼくはものすごく迷った。

こういう連載をして、こういう指摘と出会った以上、
ぼくはそれを反映する「義務」がないだろうか。

しかし、故人の名誉にかかわることである。
連載の校正ゲラにかけられる時間は、とても短い。

そこでぼくは、逃げた。

なお、直しの指示は基本的に赤字で入れていくのだけど、
編集さんに伝える申し送りのコメントは青字や黒字を使う。
(これはプログラムでの「コメント」と同じようなもの)

【黒字】
ゲラママ(※修正しないって意味)。大発見っぽいのですが、ここは伝説のほうを優先します。すみません時間不足。

その後、本をまとめるにあたって、
全体の校正ゲラを見直すことになった。そしてここでまた、

【指摘】
『山本鼎・倉田白羊』p.10とは一致。『東京美術学校一覧 明治32-35年』の「卒業者姓名」では名前が2番目に掲げられていますがOKですね?『倉田白羊展』(埼玉近美・佐倉市美 2004-2005)図録では、卒業席次について記述なし

詰められている。そして前より情報が増えた。
これはあれだ、こう言われている。「気をつけてね」と。

あるいは、もしかしたらこう。
「覚悟を決めろ」――。

ぼかすという手段はある。つまり、席次については書かない。
『倉田白羊展』をまとめた人らが席次を書かなかったのも、
やはり同じ問題と直面したからではないか。

では、肝心のぼくはどう思うか。
正直、考えるほどに、首席じゃなかったのではと思える。

どうするか。無難な線で行くか。
が、誰かがえいやで飛びこまねばならない問題という気もする。

そうこうしているうちに、タイムリミットも近づいてくる。

付箋を貼り、最後まで考えようと思っていた箇所だ。
あと少しでヤマト便の集荷が来る。目をつむり、数分悩んだ。

行こう。

【修正】
首席→次席

間違いであれば、責は著者にある(当然ながら念のため)。
もし正しければ――その功績は、校閲さんにある。
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